親御さんのお宅を久しぶりに訪ねたとき、「こんなに物が多かったかな」と感じたことはないでしょうか。棚の上、廊下の隅、使われていない部屋。少しずつ増えた物たちが、いつの間にか暮らしの風景になっている。そんな光景を目にしながらも、日々の忙しさに追われ、なかなか手をつけられないまま時間だけが過ぎていく。そういう方は、決して少なくありません。

私は社会福祉士として、多くのご家族の終活や遺品整理に関わってきました。その中で気づいたことがあります。物を整理するという経験は、単なる片づけではなく、「これから何を大切にして生きていくか」を見つめ直す時間にもなるということです。

大切なのは、物の量を急いで減らすことではありません。親御さんの気持ちに耳を傾けながら、家族で少しずつ対話を重ねていくこと。その過程で関係が深まったというご家庭を、私はたくさん見てきました。

この記事では、親の終活や遺品整理をきっかけに「持たない暮らし」へとゆるやかに歩み出すためのヒントを、生活の目線からお伝えしていきます。焦らなくて大丈夫です。まずは、ここから一緒に考えてみませんか。

遺品整理の現場で見た「物の多さ」がもたらす現実

遺族を苦しめる膨大な遺品

遺品整理の現場に立ち会うと、ご遺族がまず口にされるのは「どこから手をつければいいのか分からない」という言葉です。押入れの奥、天袋、納戸。

開けてみて初めて、想像以上の物量に直面されます。整理に数ヶ月かかるケースも珍しくありませんし、業者に依頼すれば数十万円の費用が発生することもあります。けれど何より重くのしかかるのは、故人の持ち物を一つひとつ手に取るたびに揺れる気持ちそのものかもしれません。

「もったいない」が生んだ負の遺産

親世代、とりわけ戦後の暮らしを経験された方にとって、物を手放すことには強い抵抗があります。「まだ使えるから」「いつか必要になるかもしれない」その気持ちは、苦しい時代を生き抜いた知恵でもあります。ですから、それ自体を否定する必要はありません。ただ、使われないまま何年も眠っている物が積み重なると、結果として残されたご家族の負担になってしまうこともある。これは誰が悪いという話ではなく、価値観の違いが静かに生み出す「すれ違い」なのだと思います。

物が多いと失われるもの

物が増えると、暮らしの中から少しずつ何かが減っていきます。掃除に手間がかかる、探し物が見つからない、部屋がなんとなく落ち着かない。そうした小さなストレスの積み重ねが、心の余裕を奪い、やがて家族と穏やかに過ごす時間にまで影響を及ぼすことがあります。物の問題は、実は「時間」と「気持ち」の問題でもあるのです。

「持たない暮らし」が生む、やさしい時間

物を減らすと時間が増える

暮らしの中の物が少なくなると、日々のちょっとした場面が変わり始めます。掃除がさっと終わる、収納に悩まない、朝の支度で迷わない。一つひとつは小さな変化ですが、積み重なると驚くほどまとまった時間が生まれます。その時間をどう使うかは自由です。散歩に出かけてもいい、本を開いてもいい。物の管理に追われていた日々から解放されるだけで、暮らしの空気がふっと軽くなったと感じる方は少なくありません。

家族の負担を減らす生前整理

生前整理というと構えてしまいがちですが、私がおすすめしたいのは「思い出を語りながら一緒に物を見返す」という時間です。親御さんご自身が元気で判断できるうちに、「これは誰に使ってほしい」「これにはこんな思い出がある」と話してもらう。その会話そのものが、家族にとってかけがえのない記憶になります。形見を本人に選んでもらうことは、残されるご家族の迷いや罪悪感をやわらげる、ある意味で最大の親孝行ともいえるかもしれません。

物より思い出を残す

整理を進める中で、多くのご家族が気づかれることがあります。本当に大切なのは物そのものではなく、そこにまつわる記憶だということです。色あせた写真、短い手紙、一緒に台所に立った日のこと、教えてもらった料理の味。形がなくても、心にしっかり残っているものがあります。物を手放すことは、思い出を捨てることではありません。むしろ、本当に大切なものが何かを静かに確かめる時間なのだと思います。

今日から始める「持たない暮らし」の小さな一歩

親世代へのアプローチ

親御さんの家の物を整理したいとき、最も大切なのは「一緒にやる」という姿勢です。黙って処分したり、「捨てたほうがいい」と正論をぶつけたりすると、親御さんの気持ちを傷つけてしまうことがあります。「これ、どんなときに使ってたの?」と聞いてみる。「ずっと大事にしてたんだね」と受け止める。そうした会話の中で、ご本人が自然と「もういいかな」と手放せる瞬間が訪れることがあります。焦らず、少しずつ。一度に終わらせようとしないことが、結果として一番の近道になります。

自分自身の暮らしを見直す

親の整理を手伝いながら、「自分はどうだろう」と振り返る方も多いようです。まずは身近なところから試してみてはいかがでしょうか。一つ買ったら一つ手放す、一年使わなかった物は見直してみる。写真や書類はデジタル化すればかさばりません。最近はレンタルやシェアのサービスも充実していますから、「持たなくても困らない」という選択肢は意外と広がっています。完璧を目指す必要はなく、自分に合うものだけ取り入れれば十分です。

子どもに残したいもの

親の遺品整理を経験すると、「自分は子どもに何を残すだろう」と考える方が少なくありません。もちろん物を残すことが悪いわけではありませんが、本当に届いてほしいのは、物よりも日々の中で伝えてきた価値観や、一緒に過ごした時間の記憶ではないでしょうか。「あの人はこういう生き方をしていたな」と思い出してもらえること。そして、残された家族に過度な負担をかけない配慮をしておくこと。それもまた、大切な贈り物のひとつだと思います。

まとめ|物を手放すことは、豊かさを手放すことではない

物が少ない暮らしは、何かを我慢する生活ではありません。むしろ、本当に大切なものが見えやすくなる暮らしです。空間にゆとりが生まれると、気持ちにもゆとりが生まれる。そうして手にした穏やかな時間こそが、日々の暮らしを静かに豊かにしてくれるのだと思います。

やさしい時間は、誰かが用意してくれるものではなく、自分で少しずつ作っていくものです。親御さんの終活や遺品整理に向き合う経験は、大変なことも多いかもしれません。けれど、それは自分自身の暮らしや人生を見つめ直す、またとないきっかけにもなります。

大きく変える必要はありません。引き出しひとつ、棚ひとつからでも構いません。今日できる小さな一歩が、やがて家族みんなにとっての安心につながっていきます。

もし途中で迷ったり、どう進めればいいか分からなくなったりしたときは、遠慮なく専門家を頼ってください。社会福祉士や地域の相談窓口など、暮らしの困りごとに寄り添える支援は身近なところにあります。一人で抱え込まなくていい。そのことだけでも、どうか覚えておいていただけたらと思います。